Jun's Cafe

さのじゅんやのブログ

2011から2013へ

311

実に、1年9ヶ月ぶりのブログです。
新しい年の幕開けにあたり、久々に思いを綴ってみることにしました。

2011年3月11日。
僕はそのとき、東京・高田馬場のカフェにいました。
何度ともなく店を襲う長い揺れに、僕は直感的にものすごい災害が日本のどこかで起こっている!と感じました。

その3月は、ちょうど3年間勤めていた立教大学での特任教員としての契約が終わり、退職するときでした。

メディアからは、東北でのとてつもない大きな被害の報道が。
津波、そして原発の爆発。
文明がひっくりかえるような大災害が起こったのだ、ついにこのときが来たのだ、とそのとき感じました。

僕は震災の10日後、RQ市民災害救援センターのボランティアとして、宮城県の気仙沼市を訪ねました。
全国から届いた救援物資を、唐桑半島の避難所に届けました。

そして3月の終わり、仲間を募り東京から7名ほどで、福島市・南相馬市・飯舘村をまわりました。
市社協のボランティアなどしつつ、当時のふくしまの深刻な状況にこころを痛めました。

東京に戻り、いっしょにふくしまに行った仲間と「東北コミュニティの未来・志縁プロジェクト」という小さな任意団体をつくりました。国交省の補助金が取れたので、その資金を使って南相馬の、市民の対話による未来ビジョンづくり支援の活動を開始することになりました。その後、僕は1ヶ月遅れてその年の5月に静岡に移住した関係で、南相馬支援の活動はもうひとりの共同代表の中山弘さんと、事務局長の住本勉さんに全面的にお任せすることになりました。

中山さんと住本さんは熱心に首都圏から南相馬や相馬市に通い、そのひとつの成果として「南相馬ダイアログフェスティバル」という素晴らしいイベントが昨年2月に市内で開催されました。これは、震災後に南相馬市内で活動を始めたたくさんのボランティア組織が団結し、市民自らの手でまちの未来について対話を深めよう、という趣旨で開催されたイベントでした。2日間で市内外からのべ1500名の参加が来場し、加藤登紀子さんのコンサートも開かれるなど、大変素晴らしい場になりました。志縁プロジェクトも、微力ながらその開催に協力させていただくことができました。

同時に、このイベントに参加することで、改めてふくしまの置かれている状況は極めて過酷であることを実感しました。ふるさとを愛する気持ちがゆえに簡単にこの地を離れられない。しかし放射能汚染のある土地で、果たして子どもも大人も健康に生きていけるのか、確かなことは誰にもわからない。また大きな余震によって原発災害が再び起こる可能性だってある。

いっぽうで、そうした状況を自分たちで変えていこう!という草の根民主主義とも言うべき新しい流れが南相馬で起こりつつあることも知りました。僕は改めて、このふくしまで、被災地で、いま起きていることはとても大事なことで、世界の人たちに知らせるべきことで、そして支えるべきことだと感じ、その3ヶ月後、思い切って静岡から、福島県内に生活拠点を移してきました。









南相馬市・相馬市・飯舘村に行ってきました。

さて、先週は福島に入っておりました。
3月29日から4月1日まで3泊4日で南相馬市・相馬市・飯舘村の3市町村を回り、それぞれの被災地状況と住民ニーズの聞き取りを行って来ました。

やはり福島でも沿岸部の被害は甚大です。
田んぼに船が打ち上げられて散在している状態です。
いま、全国から機動隊委員や消防署員などが集まり、遺体の捜索を行っています。

また、津波被害を受けなかった沿岸より内陸にある地域でも、放射能被害を受けています。
急性的な症状が出る放射能レベルではないので、具体的な身体疾患などが顕在化しているわけではないのですが、やはり眼にも見えず臭いもしない放射能が日常の中にある、ということから来る不安感やストレスは想像を超えるものがあります。

それでも、福島第1原発から30キロ圏内にある南相馬市内にたくさんの住民の方がいらっしゃるのには驚きました。
みなさん、県外避難されていた方も多いのですが、やはり住み慣れぬ土地での避難生活は心身ともに辛く、たとえ放射能があったとしても住み慣れた我が家がいい、ということで市内に戻ってきていらっしゃる方が多くいます。

また、一人暮らしのお年寄りなどは、移動手段もなく、情報もなく、また避難生活に耐えられる体力もなく、原発事故もそのまま自宅に引きこもって残ってらっしゃる方が多くいらっしゃいました。僕も何軒がそうした南相馬市内の一人暮らしお年寄りのお宅を訪問しましたが、70代~90代の高齢の上に耳が悪かったり、眼が悪かったり、腰が曲がってたりと、この状態で県外避難しても、確実に体調を悪くして、それこそ死期を早めてしまうだろう、という状況でした。

しかし、20キロから30キロの圏内では、こうしたお年寄りが残されているにも関わらず政府により自主避難勧告が出されている状態ですので、民生委員さんや訪問看護婦、ホームヘルパーさんなども多く退避されていて、地域にいない状況です。このあたり、組織的な支援が急がれます。

いっぽうで、「できることなら、住み慣れたこの地域で暮らし続けたい」という声をたくさん聞きました。
たとえ放射能被害があったとしても、ふるさとで暮らしたい。このふるさとを復興させたい。みんなで笑顔で暮らしたい。

そんな住民のみなさんの声をたくさん聴きました。
まだまだ原発の状況は予断を許しませんが、このふるさとを愛する住民のみなさんの思いを聞くにつけ、なんとかこの福島の沿岸自治体が再生し、放射能の被害を最小限に押さえていく手立てが取れないものかと思います。

また、非常に高い放射線量が測定された飯舘村にも訪問しました。
実際には村内では放射線量の値に地域差があり、IAEAの基準でも避難勧告されるレベルの場所もあれば、大丈夫な場所もあり混在しているとのことでした。

そんな中でも、村役場及び村民のみなさんの多くは、「すぐに健康に被害の出るレベルではない」との政府・県のアナウンスを信じて村内に残ってらっしゃいます。
「なんとかこの愛する飯舘村を守りたい」という思いはみなさん共通です。
またブランド牛である飯舘牛を育てる酪農家のみなさんもたくさん村内にいらっしゃります。
牛を捨てて外に避難することは、生計手段含め生活基盤すべてを失うことになりますので、危険とわかっていても村を出るわけにはいかない方も多くいます。

このあたりの事情は、福島県内の農家や漁業者さんたちとも共通でした。
都市住民と違い、こうした「土地」や「海」に根ざす第1次産業のみなさんは、その場所を捨てて外に行くということは、生計手段をまるごと失うことを意味します。
そうした土地や海が汚染されたことの意味はとても大きいと思いました。

また事故を起こした福島第1原発の電力はすべて東京電力管内のためのもので、福島県内には一切使われない電力だったことを考えると、私を含め首都圏に住む人間は、みんなこの福島の現状に責任の一端を追っているな、と実感しました。

また今後も継続して、この地震・津波に加え、原発被災及び風評被害という「四重苦」を背負う福島の人びとへの支援を行っていきたいと思っています。

すべてを“包摂”していくようなありかた

震災から1週間経ちましたが、まるで別の世界に来てしまったみたいです。
3.11を境に、日本はまったく別のステージに入った。
でも、これは大きな変革のチャンスだと思います。
これからの日本に、大きな可能性があると感じています。

さて、こういうときこそ心に羅針盤を、と思い書棚にあったサティス・クマール著の「宇宙に融けこむエコ・ハートフルな生き方」を読んでみました。
http://amzn.to/g414Bn

サティス・クマール氏は、インド出身のイギリスの思想家であり、マハトマ・ガンディーの非暴力と自立の思想に共鳴し、2年半かけて、核大国の首脳に核兵器の放棄を説く1万4000キロの平和巡礼を行った人です。

とても心に沁みいるポイントがたくさんあったので、みなさんにシェアしたいと思います。

:::

まずサティスは、スピリチュアル・コンパス(魂の羅針盤)として「サトヴィック」「ラジャシック」「タマシック」の3つがあると書いています。

これはサンスクリット語です。

1)サトヴィック: 真実の、自然な、シンプルな、誠実な、楽しい、正直な
2)ラジャシック:高貴な、派手な、魅力的な、贅沢な、刺激的、権威的
3)タマシック:暗い、重い、抑圧的、憂鬱な、恐ろしい、危険な、独裁的

「優しさ」はサトヴィックであり、
「怒り」はラジャシックであり、
「復讐」はタマシック。

サトヴィックな人は「いま・ここの充足感」を味わい感謝をし、
ラジャシックな人は「未来における成功」を常に追い求め、
タマシックな人は「恐怖から逃れるため相手を支配」しようとする。

実際には、流れる川のように常にこの3つの組み合わせによって、私たちの個々の人生もまた社会全体もできている。そんな中で、なるべくタマシックやラジャシックな要素を減らし、サトヴィックな生き方を選んでいくのがいいのだよ、とサティス師は説きます。

振り返って、この震災に対する1週間のわたしたちの反応も、この3つに大きく分かれているな、と思いました。

サトヴィックな反応は
「起きたことをただ受け止め、理解し、感謝をし、対話を通してみんなをつなぎ、いま自分ができることを見返りを求めずに純粋にやる」。

ラジャシックな反応は
「戦略を練って、そのビジョン通りに社会を動かしていこうと、精力的に活動をする。そして自分の思い通りに動かない相手を変えようとする」。

タマシックな反応は
「被害者意識になり、政府やメディアを批判・攻撃したり、無気力や恐怖にとりつかれ動けなくなる」。

僕自身の中にも、この3つの反応が常に入り交じって、それぞれの時間を過ごしていたように思います。

そしてこの震災は、日本に暮らすわたしたちに、サトヴィックな生き方に目覚めるチャンスを提供してくれているな、とサティスの本を読み気付きました。

自然に従いその一部分として生きていこうとする日本人本来のサトヴィックな生き方から離れ、自分の思い通りに自然を操作しようとするラジャスックな生き方を強めることにより、戦後の日本の経済的繁栄や物質的豊かさが達成された。そして、原子力発電はそれを支えた最たるものであった。

それを、本来のものに戻そうという私たちの願いが、ある意味今回の地震を引き起こしたのかも知れない、とも思うのです

そしてそんなサトヴィックな社会をつくっていく私たちの活動も、ぜひサトヴィックなものでありたい、と改めて思いました。

「平和への道はない。平和こそが道なのだ」。

という、アメリカの労働運動家A.J.MUSTEの言葉があります。

いままさに日本が脱原発に舵を取り、再生可能なエネルギーによってダウンシフトするときに来たと、僕は個人的に考えています。

いっぽうこの間のメディアや反原発の声からも、激しく政府や東電を批判し、非難するものが目立つのも事実です。その背景にあるのは、これまでの経緯から来る相互の不信や怒りのエネルギーではないでしょうか。

建設的批判は必要ですが、それ以上に必要なのは「敵」「味方」に分かれることなく、まさにオールジャパンで手を携えて、持続可能な未来ビジョンとそこへの道筋を描いていくことだと思います。

そしてそこにいちばん必要なのは「対話」。まさにサトヴィックな道です。

特に政府に対しいろいろな提言をしていくNPOや市民活動は、そんなサトヴィックなありかたを社会に示していく役割があるのではないでしょうか。

政府や東電を攻撃するのではなく、彼らのこれまでの立場や考え方も認め理解し、その上でよりよいエネルギーのありかたや未来を「仲間」としていっしょに考えていく。

そんなすべてを“包摂”していくようなありかたが示されたときに、国民の多くがそうした市民活動に多くの信頼をおいていくのだと思います。

:::

以上、ほぼ満月の夜に、思いついたことを連々と書いてみました。
長文、お許しください。

PS
明日より、日本エコツーリズムセンターの要請で山形に飛び、彼らが現地に開設する東北被災地支援オフィスを手伝ってきます。ぜひまたみなさまからもご支援をお願いいたします。
http://www.ecotourism-center.jp/article.php/reliefe_01
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